鍼師について
️●生い立ち
昭和45年、大阪万博開催の年の年末に岡山県倉敷市に宿野家の長男として生を受け、孝と名付けられる「お前の名前、親孝行の孝の字で付けたから」との言を歳々親から受け、「だからおやふこうになるっての」と密かに思っていた。
生後男児に珍しい先天性股関節脱臼よりしばらくギブス固定していた様で、
この子には激しい運動させたらダメよ、と医者から言われてたらしい母から高校生の時に「そういや、アンタは激しい運動アカンかったん思い出したわ」と言われ、「母ちゃん、オレ小学校で柔道、中学校でテニス、高校生でサッカーやっとるんやけど…」、「ゴメン(テヘペロ)」ってな感じの大らかな母の楽天的な性格を大いに受け継いでいる様に思う今日この頃。
小学校低学年で「マンガ日本の伝記シリーズ」で野口英夫に憧れ医学者になりたいと思い、高学年で「ブラックジャック」を読んで外科医になりたいと思い、中学生で「北斗の拳」を読んで、中国武術と秘孔に憧れ、「オレは何かを為すべき秘められた潜在能力を持つ人間だ」と極短い期間、厨二病に侵されるが、幸い長くは続かず、大学受験の頃、「僕が医者をやめた理由(永井明著)」を読んで、現代医療体制に微妙に忌避感を持ち、なるべくして東洋医学の道を目指すに至った。この業界の多くの治療師が持つ、「子供の頃抱えていた難病を東洋医学で救われて」といった優れた志望理由は残念ながら全くありません(悪しからず)。
鍼灸学校への進学を考えていた頃、母から「お前の学費くらい株で稼ぐから大学に行け!(母、当時山一證券勤務)」という言葉に甘えて明治鍼灸大学(現、明治国際医療大学)に入り、直後バブル崩壊で学費に苦労した両親には一生足を向けて眠れません。
大学生活4年の後、大学の研究室に身を置くなど、進路を研究か臨床かで3年ほど悩んだ後(長いわ)、臨床を選択し上京。所属していた故井上雅文先生の主宰していた古典鍼灸研究会の兄弟子の治療院(西葛西の天鍼堂)にて修行し、その後、妻と二人の息子に恵まれ、次男誕生の一月後(2000年3月)に東葛西にて開業し、紆余曲折を経ながらも今に至る。
️●人柄・趣味
熱し易く冷め易い、行動が雑で大雑把といった典型的な血液型Bタイプの人間。大学生の頃の「大成したくば、A型と思われる様振る舞うべし」との占い師談がなぜか心に引っ掛かり、一見几帳面で冷静沈着な人物で、「先生、血液型A型でしょう」と言われるまでにカムフラージュが上手くなるものの、付き合いが長くなると「やっぱりB型だね」と言われております。根本的な性格や二十歳迄に築き上げた人間性はそうそう変わりません(持論)。ちなみに、鍼師自体は血液型性格判定は社会的にはあれど医学的にはないと思ってます。
人の相談に乗って問題解決を考えるのは好きなので、色々話を聞いたり調べたりしてるうちに、広く浅い知識を有するに至る。ただ、女性は問題解決を求めているのではなく、ただ聞いて共感してくれるだけで良いという事に漸く気づく様にはなってきた気がする(自己評価)。目指せ聞き上手。患者さんによっては、「ここってはり灸してもらってるというよりカウンセリング受けてるみたいやね〜」と言われることがあり、誉め言葉と受け止めている。
生い立ちでの語りの通り、人生において漫画の影響の大きい鍼師ですが、今に至ってもマンガ好き(本も読みますけど…)。マンガ・書籍、お勧めあれば教えてください。後は、PCを弄るのが趣味でしょうか?患者さんからも色々PC修理の相談を受けることがあります。
これで鍼師の人となりを幾分か想像して頂けたのではあるまいか?と考えるも、ちょっと赤裸々に語り過ぎた様にも思われ、大いに恥いる鍼師でした。うーん。そのうち消すかも。